いつかは訪れてみたいと思っていたバルト三国。その一つエストニア共和国の首都タリンで最初に訪れた場所が『カドリオル公園』だった。 これほど美しい空間があるのか、思わず目を見張った。目の前に広がる晩秋の美しい風景、この大気をすべて胸一杯吸い込みたい衝動に駆られた。気温は9〜10度で、冬の寒さだ。光が著しく変化し、風景の色彩を実に豊かに変化させていく。ロシアのピョ−トル大帝が妻・エカテリーナのために造営した宮殿と庭だという。カドリオルとは「エカテリーナの谷」という意味らしい。タリンの宝石を見たようだ。
13世紀以来、デンマーク、ドイツ系騎士団、スウェーデン、ロシア帝国、ナチス・ドイツ、ソ連と多くの他国に支配されてきたエストニア。その歴史は、多岐にわたり多彩な影響を今に伝えている。
1991年のソ連邦の崩壊により独立、共和国となったエストニアは、全人口140万人の小さな国だ。そして首都タリンには40万人が集中し、旧市街の歴史地区(世界遺産)を訪ね、観光客が年間500万人を超えるともいわれる。バルト三国では最も豊かな国だ。
参考までに、バルト三国では通貨がすべて違うので、頭の中が大混乱だ。エストニアでは、エストニアクローン(1EEK=\9.49)、ラトビアは、ラット(1LVL=\211.18)、リトアニアではリタス(LTL=43.02)と呼び名もレートも全く異なる。おまけに日本円はまったく役に立たない。VISAなどのクレジットカード使用が普及しているので便利だが、現金主義というお方は米ドルかユーロを前もって準備していく必要がある。
13世紀以来、デンマーク、ドイツ系騎士団、スウェーデン、ロシア帝国、ナチス・ドイツ、ソ連と多くの他国に支配されてきたエストニア。その歴史は、多岐にわたり多彩な影響を今に伝えている。
1991年のソ連邦の崩壊により独立、共和国となったエストニアは、全人口140万人の小さな国だ。そして首都タリンには40万人が集中し、旧市街の歴史地区(世界遺産)を訪ね、観光客が年間500万人を超えるともいわれる。バルト三国では最も豊かな国だ。
参考までに、バルト三国では通貨がすべて違うので、頭の中が大混乱だ。エストニアでは、エストニアクローン(1EEK=\9.49)、ラトビアは、ラット(1LVL=\211.18)、リトアニアではリタス(LTL=43.02)と呼び名もレートも全く異なる。おまけに日本円はまったく役に立たない。VISAなどのクレジットカード使用が普及しているので便利だが、現金主義というお方は米ドルかユーロを前もって準備していく必要がある。
ヘルシンキのガイドさんから「タリンでは足下に気をつけて!」といわれたが、石畳の道路を見て「フムフムなるほど」と頷いた。デコボコした石につまずいて、転ばぬようにとアドバイスを頂いたわけだが、吾輩にとっては、この石畳は魅力ある被写体の一つだ。デジカメを構えながら、「果たして、この石畳はいつ敷かれたものなのか、どれほど多くの人々が、時代を越えてこの石畳を歩いてきたのか」なんて想いを巡らせ、シャッターを押す楽しみといったら...。この石畳については、別件でご紹介する。
エストニアの首都タリンの旧市街が、世界遺産に指定されたのが1997年だ。タリンは1248年にハンザ都市としての特権を得ることにより、以後数世紀にわたり商業都市として繁栄してきた。今に残る旧市街地の歴史的建造物は、ドイツの影響が色濃く残る、この時代の建築物である。
この旧市街地を歩こうというわけで、防寒をしたつもりが、やはり日本の10月とは違う。朝方は、これはもう木枯らしの吹く冬の寒さだ。太陽がほんの少し雲に隠れただけで、空の印象がガラリと変わる。その色彩の変化が、これまた実に美しい。
市街地を見下ろすトーンペア城や大聖堂、ラエコヤ広場、アレクサンドル・ネフスキー聖堂を巡り、その移動中に目に入る面白物件を見つけてはシャッターを押しながら歩き回った。参考までに、エストニアでは、並木はマロニエや菩提樹が多く、教会は圧倒的にプロテスタントが多い。緑豊かなこの都市の新市街地では住宅街の地価の高騰が続いているという。
また単一の母国語だけしか話さない吾輩のような単純脳細胞の持ち主にとっては、不思議なことだけれど、この国ではエストニア語、ロシア語、フィンランド語、英語が使われているという。(2006年10月)